【ヤマハ SR400】SRを熱く語ります!

バイク

はいどうも、こんにちは!秘密基地ひろしです。

今回はヤマハ SR400について熱く語ってみたいと思います。

まあ、柄にもないんですけど、実は「SR400について語ってもらいたい!」というリクエストをずっと頂いてたんですが、ちょっとなかなかできてなかったんですね。

といいますのも、私のバイク歴は40年で長いんですけど、SR歴ってまだまだ4年なんですよ。で、まあ諸先輩方をさし置いて、なんかそういうの語るっていうのも、ちょっとおこがましい気もしてました。

でも、もう3台もSRを買ってしまってSR三昧の日々を送ってますんで、一度はそういうのをやっておこうかなと思いました。

【動画版はこちらです】

【SR400】SRを熱く語ります!

SRとの出会い

私とSRの出会いは1978年ですから。奇しくもSRが誕生した年になります。当時はまだ中学一年生だったんですけども、バイクに関してはかなりませていたので、当然SRがデビューしたことも知ってました。

初期型1978年のSR400です。パッと見て分かるファイナル エディションとの違いは、グラブバーが無い、リアブレーキのトルクロッドが上、キャブ、フロントディスクが左、フォークブーツが無い、ミラー、シートベルト

そういう子って大体、兄貴がいるんですよね。私もご多分に漏れずそうで、兄貴がいて、茶の間にはいつも月刊オートバイとかモーターサイクリストが置いてあって、夜になると兄貴が中型免許を取るとか取らないとかで、親父と喧嘩になるということを繰り返していましたね。

バイクも車も雑誌は冬の時代。愛読書、別冊モーターサイクリストも廃刊になってしまいました

月刊オートバイとかモーターサイクリストは定期的に1月号と、たぶん年2回だから7月号になるんですかね?国産車輸入車オールアルバムっていう企画をやってましたよね。販売されている全てのバイクの真横から見た写真とスペックが載ってました。

その中にSR400と500もあって、大人たちが誌面を見て騒いでいるので、このSRの存在感とか重要性みたいなところは、中学一年坊主でも知ってました。

でも当時、大型二輪の教習が無くて、なかなかに限定解除が難しい時代だったので、「せっかく大型二輪免許を取ってSR500は無いよな!」ってのが、やっぱり当時、中学一年生の男子としては順当な考え方だったと思います。

何故か400より短命に終わったSR500です。大型二輪免許を持ちながらこの排気量に乗るのは正に男の中の男だと思います

で、ちょっと臭い言い方ですけど、そういった意味ではなんとなくSRは誕生した時から知っているので、なんとなく幼馴染みたいな感覚です。

16歳になりました

で、そんな私も16歳になりまして、すぐに原付免許を取りに行きました。原付免許を取ったら、もうすぐにバイクが欲しくて、近所のバイク屋にヤマハ RZ50がありまして、今でも忘れません、定価が176,000円だったんですが、走行1,000kmの中古車が11万円で売ってたんですね。これは出物だってことですぐに買って、まあ喜々として乗り回してました。

私の青春、そして出発点そのもの!ヤマハ RZ50です。

当時、私は学校でそれが原因で人気者になってしまいました。なんでかというと、16歳になったばっかりの子って、まあせいぜい家のパッソルとかパッソーラを乗り回すぐらいが関の山で、スポーツバイクを持ってる子はあんまりいなかったんですね。

懐かしのヤマハ パッソーラ、このベージュに股を180度に広げて乗るのが兄貴たちの定番でした

なので、普段話したこともないクラスメートが突然。「今日、お前の家に遊びに行ってもいいか?」と聞いてくる訳です。なんでだって聞くと私の家まで着いて来てRZ50に乗りたいという訳です。

まあ、そんなこんなで半年ぐらい、私は結構人気者だったんです。当時は学校一のバイク好きという自負もあって、凄く満たされている時期でした。

ただ高校2年になると状況は一変しまして、今度はアルバイトをして中型免許を取って中型二輪に乗る同級生が増えてきたんですね。そうすると本当に私の株は急落しまして、特に何の変哲もない高校生に戻ってしまったという訳です。

当時、私はバイク好きではあったんですけど、毎日バイトしてまで中型二輪を乗り回す程の腹の括りはなくて、ずっとそのRZ50で走り回ることに甘んじずを得なかったんですね。

まあそれはそれで良かったんですけど、とはいうものの、なんかこう「自分は学校一のバイク好きなんだぞ!」っていうのを、本当にもう屋上から叫びたいぐらいの気持ちだったんですけど、50ccにしか乗ってないと、下に見られるというのがあって、凄くそれがトラウマになったんです。

実はそのことが結局、SRとの距離をどんどん離してしまったと思います。何故かというと、やっぱりバイク好きと認められるには、大きくて、速くて、高いバイクに乗らなきゃいけないということを目指したんです。そうするとSRとは違うベクトルに進んで行った訳です。

中型にステップアップ

私は大学に入る前に一浪しまして、その時にアルバイトを始めて念願叶って中型免許を取って、最初にホンダのVF400Fを買ったんです。

これも私の青春そのものホンダ VF400Fです。超万能なので、そこが欠点になるという面白いバイクです

ホンダの面白いところは凄い人気の車種を出しておきながら、すぐに辞~めた!っていうことで路線をすっかり変更しちゃいます。

例えばCB400FOURですね。あれなんか一世を風靡していたのに、これからはツインで3バルブですよってホークⅡに行ってしまって、取り残され感を出しちゃう。

一世を風靡して、まだその人気が衰えるどころか神話化さえしてるホンダCB400FOURです
ヨンフォアからホークⅡへ、ホンダはこれだから面白い会社です。中型二輪の試験場ではお世話になりました。

それからVF400Fもそうです。CBX400Fで一時代を築き上げたのに、これからV型でっせ!ってことで一気に並列四気筒をV型に置き換えようとして、これもまあ、あんまり市民権を得られなかったですね。

CBX400F、ヨンフォアと並んで伝説のバイクです

最近だとNC700なんですかね。バイクってこれからはこんなもんですよ!みたいな哲学を打ち出して、全然違うものを出してくる。

バイクってこんなもんだよ!ってホンダ独特の哲学満載の作品です。嫌いじゃないです。

だけど、それは本当にホンダらしくて、それでこそホンダだとは思います。

V型エンジンも然りで、当時、CBXの後に鳴り物入りで登場したVF400Fなんですけど、定価は53万円ぐらいだったと思います。それがたちまち不人気車になっちゃって、私が買う時には37万円で新車が買えたんですね。

バイトしててもお金はそんなになかったんで、当時はGPZ400RとかFZ400Rが欲しかったんですけど、身の丈を知るということと、ホンダのⅤ型路線も試してみたかったんでVF400Fを買って学生時代はずっとそれで走ってました。

このGPZのシリーズは前後16インチタイヤでずんぐりしてるんですが、何故か魅力的
ヤマハはスーパースポーツで出遅れましたが、流石のデザインです

でもVF400Fは凄く良いバイクで、本当にあのホンダのV型4気筒シリーズって、どこからアクセルを開けても力がモリモリって、全域トルクバンドって感じでしたね。逆にそれがつまんないというのがあって、たぶん、みんながV4から離れていったのかもしれませんね。

遂に大型バイクへ

そんな私が会社に就職しまして、限定解除はその前に済ませてあったので、今度はカワサキのZZR1100を買ったんですね。いよいよ高校時代のトラウマを払拭するということで、当時、最高速度が時速300km近く出たこともあって、ZZR1100であれば、いろんなものを満たしてくれるだろうという思いが当時はあったんだと思います。

パワー、トルク、ステータス、全てを満たしてくれたカワサキ ZZR1100です

それで買って大変満足でした。本当に100万円ちょっとで信じられないようなパワーを見せてくれるっていうのはバイクの場合、凄いことです。車だとウン千万円出さないとあの性能は来ないですからね。

まあ、それで結局ZZRはなんだかんだで10年ぐらい乗ってたんですけど、これは大排気量のマルチシリンダーを否定する訳ではないんですけど、やっぱりバイクに乗せられてる感があって、自分で制御しかねるところがあって、そこでだんだん飽きてくるというか、面白味を失くしていったんだと思います。

そしてバーチカルツインへ

そんな時に思い起こされるのは、学生時代から読んでた片岡義男の二輪小説なんですけど、その中に度々、カワサキのW1やW3が登場したんです。

私の青春の愛読書、片岡義男です。中でもライダーのバイブルはやはりこの「彼のオートバイ、彼女の島」

それでやっぱり今度はツインだろう!ということで、「いつかカワサキが650ccのツインを出したら絶対買うぞ!」と思ってたら本当に出てきちゃいました。

もう完全に片岡義男の世界です!カワサキ W650

そんな訳でカワサキのW650が出て、すぐに飛びついて買ったというのが、今も持ってますけど、W650との出会いです。

ツインは、CB750FOURが1969年ですかね?それが出るまでは、天下を取ってました。シングルに無いスピードとマルチには無い鼓動を持っていて、結構面白かったんですけど、やっぱり私が年を取る毎にちょっと物足りなさを感じていった、それはテイストです。

CB750FOUR、コイツが出て世界があっと驚くまで650ツインの天下だったんですが…

とうとうハーレー

そんなことがあって、いろいろ考える先にハーレーダビッドソン スポーツスター XLH883、通称パパサンがあったんですね。

ハーレーダビッドソン スポーツスター XLH883、通称パパサンです。味は超濃厚豚骨背油ラーメンです。

パパサンはある意味アメリカ人の大らかさっていうんですかね、良い意味で何も考えずに作ってるので、その能天気さに惹かれました。

まあちょうど仕事でアメリカに駐在してましたので、アメリカのハーレーディーラーで所謂、100周年記念モデルを買いました。2003年にハーレーは創業100周年を迎えて、そのモデルを現地で買ったという訳です。

そのパパサンでハーレーの世界をちょっと垣間見ることが出来たんで良かったんですけど、やっぱりどうしてもクルーザー的な?パパサンも鉄の塊なんで、確か車重が230kgぐらいあって、スポーツスターと名前が付いてるんですが、やっぱりクルーザーに近いものがあるので、やはりちょっとそこは趣向が違うなって感じました。

SRと再会

そんな時に同窓会で幼馴染にあったような感覚で、SRは当時FIの4型だったんですけど、排ガス規制の対応で一旦生産を終了するということで、これは偉いこっちゃ!もうSRが買えなくなるかもしれないと。一方、ヤマハからは改良型をそのうち発売しますよってアナウンスがあったと思います。ただユーロ4対応でSR400が骨抜きにされちゃうんじゃないかって恐れて、急いで探し出して買ったのが4型のSR1号なんです。

初めて買ったSR400、4型の1号です、大人しい子なのでヨシムラを付けてます

ですから、本当に長い間、遠回りをしたなっていうのがあって、一方、そのステップを踏まないとSRに行けなかったところが、今、本当にSRへの思いを強くしてるんだと思います。

やっぱり若いときは誰しも、他の人に自慢出来るようなバイクに乗りたいと思いますよね。そんな中で、純粋にビッグバイクへの憧れもありましたから、一旦マルチのビッグバイクを嚙みしめて踏みしめてからでないと、やっぱりその若気の至りでOHCシングルエンジンには降りてこられなかったというのがあったんだと思います。

ですから1978年にSRに出会って、その時から興味が持てれば一番良かったんでしょうけど、そうは問屋が卸さない訳で、寧ろ、その時にSRに決めて買ってたんだとすると、今はもう付き合ってないかもしれないですね。

やっぱりSRとの絆みたいなところを強くしているのは、やっぱり30年以上遠回りして辿り着いたSRだけに、その思いは強いのかなと思っています。

4型のSR1号に気を良くして追加したSR2号!5型のファイナル エディションです。ノーマルマフラーで十分な音が出てます

特に今日は一時間ぐらい乗ったんですけど、やっぱり時速4、50kmぐらいで市街地をダカダカ言わせながら、低いエンジン回転ながらアクセル開けて走っていくシチュエーションっていうのは、もう本当に楽しいですね。

まあ、だからといってSRを3台も買うバカは居ないだろうって感じなんですけども。まあ一方でユーロ4対応でSRが骨抜きにされちゃうだろうと思ったんですが、その5型で更に進化してたというのはやっぱり想定外でしたね。

やっぱり青も欲しい!ということでさらに増車したSR3号、これも5型のファイナル エディションです

故に本当の本当にもうSRが終わっちゃうってんで、2台買い増しっちゃいました~みたいなことになってるんですけど、3台共それぞれマフラーとかちょっとずつ変えて個性を付けて、順番に楽しんで乗れるようにしていきたいと思います。

凄く臭い言い方ですけど、なんかずっと気になってた幼馴染と最後 はゴールインした!というような感じでしょうか?

じゃあ3台もあると不倫だよな!って話ですけど、まあそこはちょっと勘弁して下さい。

そういった意味で今は本当にSRにぞっこんで、更にはそのSRを確かめたいがゆえにホンダ GB350も揃えましたので、SRを中心としたシングルの世界に浸ってみて、その雰囲気を今後もお届け出来たら良いなと思います。

SRをもっと知りたくて、ライバルのホンダ GB350も買ってみました。かなり強力なライバルです。

以上になります。ご覧下さいまして、ありがとう御座いました。それでは、また! 

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